ヘブライ語聖書における「ことば」=「!!!!!」

本日偶然知ったのですけれど、ギリシャ語に訳される前のヘブライ語におけるヨハネ福音書の該当部分の「ことば」を示す単語として何が使われていたかと言うと。

ダバールという単語が使われていたとのこと。用例としては例えば。人間の総合力を行使して天に昇る為のバベルの塔が作られたとき、そんな生意気は許さんとばかりに神の意志で塔がぶちこわされた時、二度と共同作業で塔を構築出来ないようにと、神は諸民族の間でダバールが異なるものにしてしまわれた、(つまり、そこではじめて諸民族間の意思疎通に翻訳作業が必要になったという、人間の力をそぐ為の神の行いが、云々)というヘブライ語で書かれた説話というか神話が旧約聖書の中にあるわけですが、そこで使われたダバールという単語の意味は、まんま「言葉」であったわけです。

これだと、ヨハネ福音書の冒頭部分の「言葉」という単語はまんま「ダバール」ですから、英語で書かれた欽定訳の「Word」となんら変わらないわけです。っていうか、振り出しに戻ってしまう。「初めに言(ことば)があった。」ってなんなんだ、ということです。神が何か発音でもしたのか?と考えるとヨハネ福音書の冒頭は全然意味を成さないような気がしてならんわけです。