ギリシャ語聖書における「ことば」=「ロゴス」

昔のヘブライ語から昔のギリシャ語に訳された頃の聖書では「ことば」という単語として「ロゴス」という単語が翻訳時点で選ばれた模様。

「ロゴス」なら話がわかりやすい、混沌から整理整頓するパワー、ないしは法則(仏教で言う法「ダルマ」に近いか?)、叡智を示すニュアンスがギリシャ語にあるからだ。ロジックなんていう言葉はロゴスから来ているし。

そんなわけで、今日まで、「ことば」=「ロゴス」というニュアンスで読んでいましたよ。だけどそれだと、ヨハネによる福音書1章の3節と4節との間に微妙な断絶があるような気がしてなんとなく不思議な気持ちがしていたのであった。つまりロゴスでは微妙だということ。いえ、ロゴス説で、3節はその通りだと思うし4節もその通りだと思う。だけれども、3節と4節を連続して読むと、むむむ?とかいうヒッカカリを感じていたのだ。


1:ヨハネによる福音書 / 1章 3節〜4節

万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。