2009-12-17から1日間の記事一覧

推察

陳寿は、倭人伝を書くにあたって、陸行で千百里ほどを、三十日とみなしたかもしれません。もちろん、悪路を想定してです。 陳寿が利用した原資料に、邪馬台国まで悪路で千百里と書いてあれば、これを、陸行一月と書いてもよろしいことになります。 これです…

別途情報

すでに当日記で書いたのですが、西域伝には別途、三日で百十里ほどであるという記述もあります。

漢書西域伝ならオッケー、一日四十里ほど?

漢書西域伝ならば、ほぼ確実に陳寿は参照しているはずです。ですので、漢書西域伝から、陸行の一日が何里にあたるのかを計算できたほうが良いでしょう。 精緻に調べきったわけではないのですが、私が検算したところ、部分的に以下のようなことがわかりました…

唐六典は唐の時代であって卑弥呼の時代のものではない

魏志倭人伝を書いた著者の陳寿は、唐が成立するはるか以前に死んでいますから、ひょっとしたら唐六典の基準ではまずいかもしれません。

唐六典

唐六典に、一日あたり五十里という基準が書いてあるのだそうです。 邪馬台国九州説(特に放射説)によく使われる根拠なのですけれど、これだと、陸行一月 = 陸行千五百里ということになります。 詳細は省きますが、邪馬台国の位置が九州に収まるくらいと解…

魏志倭人伝の里程は難解

邪馬台国に行くにあたって【厳密に言えばどこからか不定】ですけれど、南に、水行十日陸行一月行くと書いてあります。これだと里程がわからない。何里行くか明記していないわけです。ここに邪馬台国の位置が不明であることの大きな理由のひとつがあります。