推察

陳寿は、倭人伝を書くにあたって、陸行で千百里ほどを、三十日とみなしたかもしれません。もちろん、悪路を想定してです。 陳寿が利用した原資料に、邪馬台国まで悪路で千百里と書いてあれば、これを、陸行一月と書いてもよろしいことになります。
これですと、四百里を水行で十日かかる換算が成立すれば、まさしく、陳寿が言うところの、「郡から邪馬台国まで一万二千里」と不可思議な行程の里数とが、完全に整合しそうです。
水行の里数の根拠をどこからか探さなくてはいけませんが、漢書西域伝にはなさそうです。砂漠ですからね、あそこらへんは。