倭人伝の伊都国は有明海沿岸の江戸(えと)ではなかったのかという推論を若干補強

伊都国は江戸かもという妄説をメモしたのですが、その後気がついたことがあり、さらにメモをしてみます。
卑弥呼の時代に大国である魏と外交関係を持ったわけですが、いったいぜんたい通訳者はどんな人物なんでしょうか。蓋然性が高く一番ふさわしい者は、おそらく朝鮮半島在住の人物でしょう。朝鮮半島倭人とは既に民間レベルの交易関係があったことは魏志東夷伝に書いてあることですから問題はありません。そうした交易のさなか、朝鮮の言語は当然として、魏の言葉も倭人の言葉もわかる、そうした通訳者が存在していても不思議はありませんし、もしくは、魏=朝鮮の通訳、朝鮮=倭の通訳を重ねていたかもしれません(重訳というらしい)
いずれにせよ、朝鮮半島在住者が通訳に関与していた蓋然性は濃厚なのですが、このことが、倭人伝記載の倭国の地名や人名、官名の記述方法に影響を与えているかもしれない、という理由になりえます。
さて、弥生時代末期の朝鮮半島の言語はどのような音声を使っていたのかについて、あまりにも文献が少なく、言語学的に再構することは非常に難しいとされています。それでも、中世朝鮮語(MK)については、『訓民正音』という超一級資料が存在していますから、ある程度のことはわかるわけです。通説は存在していませんが、各種学説が論じている『訓民正音』からわかっている共通項のひとつとして、中世朝鮮の言語の発音には、日本語でいう『え』の音がないことがあげられます。ローマ字でかけば『e』に相当する母音がないんですね。現代の朝鮮語にはありますよね、キム・デジョンとかカタカナで書かれる金大中元大統領の名前からもわかるように。『デ』が『e』という母音を含んでいます。だけれどもこれは近世に始まったことで、中世の母音体系にはなかったこと…そして、恐らく、古代朝鮮にもなかった発音なんです。これはほぼ通説といっていいでしょう。学問的な証明は難しいけれども、言語学的にはほぼ正しいと考えてよいかと思われているのですね。
卑弥呼の時代の通訳者の朝鮮半島の人の母国語に「e」という母音がなかったと想定してみます。すると、倭人が話す「えと」は、彼らのネイティブな耳には「いと」と聞こえてしまいかねません。よほど注意深かれば大丈夫なのですが。うかうかすると「えと」の国は「いと」の国であると通訳者が理解してしまい、そのように中国側の魏の官僚に伝えてしまう可能性があります。魏の官僚が『伊都国』と記してしまったとしてもそれが倭人にとっては「えと」のクニであったかもしれません、そうした蓋然性はあるはずです。現代人が古代に会ったはずの「いと」のクニばかり探していてはいけないかもしれず、「えと」も視野にいれるべきではないのか、といった考えも捨てきれないと思われますが、いかがでしょうか。「え」が河川、「と」が入り口を指すことは古代日本語にとって自然なことですから、入り江を表す言葉として「えと」があってもいいはずで、すなわち、えと=港、だったかもしれませんね、「みな」+「と」が水の戸、をあらわしたように、港湾が江の戸であってもいいわけです。
港湾都市としての伊都国探しをしてもよいかなぁと思いますし、そうした場合、糸島半島だけに目を奪われると大切なことを見失うかもしれないなぁと。。。。