トヨの共立について

問題の所在

共立された台与(卑弥呼の後継とされる女王)はいったい誰の娘だったのでしょうか。これについて考えてみます。
邪馬台国について書いてある魏志倭人伝において、共立された女王である卑弥呼が死んだ後、いったん名前不肖の男王が(勝手に?)立ち、国が収まらなかったと書かれています。内乱が発生して1000人ぐらい死んだとあります。その後「宗女」である13才の「台与」が女王として共立されて収束をみたとも書かれています。ここで「宗女」とは普通は血統を継ぐ者なのです。だけれども卑弥呼には夫がいないと魏志倭人伝には明記されていますし、おそらく子供はいなかったというのが定説です。ですから、後継の台与は卑弥呼の親戚の子か、ないしは、シャーマンを生み出す集団の若手であっただろう、宗教的な意味合いでの子供であったのだ、などというのが定説なのです。このあたりの事情については三国志魏志倭人伝には以下のようにあります。


更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人
復立卑彌呼宗女壹與 年十三爲王 國中遂定

しかしながら本当のところはわからない、あまりにも倭人伝は舌足らずであるというのが一般的な見方です。

台与は男王の娘

さて、昨日ふと思って冷や汗をかいたのですが、以下に。「復立卑彌呼宗女壹與 年十三爲王」の部分の読みに異論が立てられないかと。「復立卑彌呼」「爲王」とはひとつの文の構成要素であることは間違いありません。私の読みは、「復立卑彌呼」を「ふたたび卑弥呼を立て」と読み「王と為す」と読みます。すると目的格が必要ですがそれを「宗女壹與 年十三」とみるのです。
まず卑弥呼というのは王権とは独立した特別な女性シャーマンの職責をあらわす名称と考えます。「法王」「首相」「大統領」というような職責名です。「副立卑弥呼」とは、卑弥呼空位であったので後継の卑弥呼をもう一回立てた、と読むのです。さらに強烈なことに、この二代目シャーマンたる卑弥呼を、王としたのです。(シャーマンと王とは通常別々の位であったとみます。二重王権なのですね、古代によくある。女性シャーマンと軍権の男王との。)すなわち国が乱れたのでダブルの権威を帯びた台与をもって群臣たち豪族たちが名目上は力が集中した女王を共立し国を安定化させたと考えるのです。

ふりかえってみますと宗女とは王の血統の後継をさしていました。この宗女を、定説がいうような卑弥呼の(親戚を含む)血統の娘ではなく、卑弥呼を継いだ男王の血の繋がった娘とみることが異説として可能なのではあるまいか、と考えついたのです。初代卑弥呼の直系ではないと。これについてはなにか証拠はあるでしょうか。

魏志倭人伝を含む三国志には夫餘伝があり以下のようにあります。中国東北部にあった古代国家です。


舊夫餘俗、水旱不調、五穀不熟、輒歸咎於王、或言當易、或言應殺。麻余死、其子依慮年六歳、立以爲王。

上の意味は大体において以下のようなものです。

夫餘の昔からの風習であるが旱魃や水不足、飢饉が発生すると、(これをシャーマン王の不徳のいたすところとみて)王の責任であるとし、あるいは王を替えよう、あるいは王を殺してしまえ、とする。 (よって王である)麻余は死に、その子である依慮(年は六歳)を立てて、もって王となす。

なお、この依慮は、西暦285年に自殺をしています。敵軍に国家中枢を占領されたからなのですね。一族は旧支配地域の一部に避難し依慮の嫡子が次の王になったのが286年。これは晋書にかいてありました。

以上から読み取れることは、国家レベルでまずいことが発生するとシャーマン王は退位するか死ぬか、ということなのです。このことを我が国古代においても適用できはしまいか、と考えるわけです。

すなわち、魏志倭人伝を読むにあたって、こう解釈します。初代卑弥呼(女性シャーマン職責)は狗奴国との争乱の責任をもたされて死ぬ。シャーマンである男王が立つが国中で争乱が収まらない。(戦争のせいか飢饉のせいか病疫大発生のせいかは不明。)そこで男王は責任をもって退き、男王に血のつながった宗女たる台与をあらためて女性シャーマン王として共立させる…

この珍説の将来の展望

以上の珍説は、倭人伝を古代日本の神話と比較するうえで新しい視点を与えるものと考えられます。また、ひょっとするとくだんの男王は実は倭人伝にあるヤマタイに敵対できた大国たる狗奴国の王ではなかったかとさえ考えられるのです。それならば台与は日本列島レベルの最初の女王かもしれないのですよね。

※なお。トヨではなくてイヨと読む古代史研究家もいます。それならば、イヨすら職名と考えたらいかがでしょうか。プヨをついだシャーマンの依慮という名前は発音がイヨに似ていますからね。イヨとは次世代シャーマンを指すことばであると。ちょうど皇太子みたいな単語として。そうすれば卑弥呼もイヨも職名です。イヨという名称の女性の個人名は、倭人伝以外には、日本の古代を伝える諸文献には一切類例が出てこないんです。つまり個人名としてはすこぶる怪しいのですよね。これをもってイヨではなくトヨと読むべきとする学者さんたちは多いのです。私もトヨ派ですけれど(笑