蛭子命と卑弥弓呼と卑弥呼と

高句麗語の数詞

高句麗は朝鮮ないしその北方の満州にあった古代国家です。古代、高句麗語と日本語との関連性は少なくなかったと考えられています。世界の孤語である日本語は明らかに類似する言語が現在みられないのですが、それでも遠い昔に(ひょっとすると縄文時代に)アルタイ語をベースとしていた古代日本語がその後発達して現代日本語になった可能性はきわめて大でしょう。高句麗語もまたアルタイ語族ですから日本語との関連性について研究されつつありそれなりの成果があるようです。ところが古い時代の高句麗語に関する文献は極めて少ないので研究の障害になっているようです。
それでも重大な発見があるようです。そのひとつが、高句麗語の数詞において、三、五、七、十、が日本語のみ、いつ、なな、と、と極めて似た音素を持っていたことが証明されていることです。 現代のハングルにおける数詞とはまったく別系統ですから、このことは考慮に値します。
なお、このことをいかなる意味でもナショナリズム的な意見に利用なさらないでください。くだらないですから。

卑弥呼の時代の交易と通訳

卑弥呼の時代にも大陸や半島と交易をしていたことはいろいろな証拠群で判明しています。通訳もいたことでしょう。倭の女王である卑弥呼について書いてある魏志倭人伝にも中国からの役人が日本列島に来たことが書いてあります。ただし、おそらく通訳が必要であったはずです。その通訳には朝鮮半島在住の人があてがわれたとも推測できます。通訳者は朝鮮半島にあった帯方郡楽浪郡の役所に勤めていたバイリンガルな人だったことでしょう。またこの通訳者は倭に訪問する中国の役人に帯同したことでしょう。従って魏志倭人伝には朝鮮系の言語を介在した影響が考えられても良いはずです。

魏志倭人伝における卑弥弓呼

卑弥弓呼は男王です。狗奴国の。そして女王卑弥呼に敵対していました。さて。卑弥弓呼の名前を卑弥プラス弓呼と分解してみます。「弓呼」とはなんなのか、朝鮮人通訳説を用いて考えてみます。
「弓」は現代の韓国語で「hwal」と発音します。同じアルタイ語族の蒙古語では、「hiru」と発音します。古い朝鮮語高句麗語)でいかなる発音をしたかは不明です。仮に、「hwil」であったと考えてみることにします。すなわち、倭人が「ヒル(hwiru)」と発音した名称に朝鮮人が「hwil」と聞き(語尾の母音をとってしまう癖が朝鮮系の発音の一般的な傾向です。)、その音を一字で表現できる字である「弓」をあてた、そのように考えてみるのです。つまり「蛭子」という倭人名を「弓呼」という字で表示した可能性があるのではないかということなのです。これを中国人が採用したと。
蛭子命(ひるこのみこと)は日本神話でちょっとだけ出てくる影の薄い神です。生まれてからすぐに船に乗せられて流されてしまいます。イザナギイザナミの神に見捨てられた神です。このヒルコのミコトが、卑弥呼に敵対していた卑弥弓呼についての遠い記憶であったとしたらどうでしょうか? ヒルコは、オオヒルメ=アマテラスオオミカミの兄弟神でもあるのです。一般には、ヒルコをスサノオとみる仮説すらあります。さらに、一般にはスサノオを月弓のミコトとする仮説もあるのですが、ここにも「弓」が出てきています。
アマテラス=卑弥呼と同定する仮説はよくありますが、敵対者、放逐者としてのヒルコ=卑弥弓呼であると論じる仮説は、おそらく初めて書かれたのではないのかなぁと、少々自画自賛です。
※ところがより説得力に富む別の新仮説を私は考えていまして、上の仮説とは両立しません。なので上の仮説はここに書いたのみで以後私の頭からは葬りされることになります。合掌。