投馬国ってどこですか?本当にあったの?

ついでに。邪馬台国の近くにあるはずの強国、投馬国について考えて見ます。従来説の多くでは、投馬国について、『つまこく』などと読んで、イズモではないかとか、サツマではないか、どこかのツマではないか、など、比定しているわけです。でも決定打がどうもないわけです。
どうせ決定的じゃないのなら、私案を提出してみようかなと。いわば、『投馬国はなかった(笑)』


その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。ジ猿・黒雉あり。

上は倭人伝からですが、『投』の字があることに注意。これ、文脈からして≪木≫の一種なんです。でも、『投』なんて木はないんです、普通は。何かの書き間違い。で、推定されているのが、毛筆で書かれた写本の段階で転写ミスがあったはず、ということ。毛筆で『投』の字に似ているのが、『柀』なんですね。木へんに皮でヒトモジです。これ、古代において中国式発音(上古音ないし中古音)は「ビ」なんですが。意味は、「すぎ」。木の名前。というわけで定説ではスギの木が邪馬台国にもあるんだよー、という文脈とされているわけです。

じゃぁじゃぁじゃぁ!ねぇ?『投馬国はなかった(笑)』と言えませんかね?本当は『柀馬国!』発音は、ビマ。

もっとも、古代日本語で、単語のしょっぱなに濁音がくることはナイとされていますから、ビマじゃ駄目っぽい? ここで必殺。 ビとミの中間の発音があったのでは?B=Mの中間。だから、ここでは、『柀馬国』と書いて日本語で『ミマ』と読んでみる。この読み方、結構重大なんですよね。私が思うに。投馬国の位置が不明でも、ミマ国なら、ひょっとしたらわかるかもしれないですから。それに。そもそも、卑弥呼=彌馬升の『彌馬』って、『柀馬』と関連が出てくるかもしれません。 古事記にせよ日本書紀にせよ、登場人物のうち一部のお名前には、土地に由来する名前がついていることが多いことは知られているのです。ならば!彌馬升って、土地名である『柀馬』の長であるかもしれないんです。それに、ミマキイリヒコなんていう皇族もいたんですよね。考えられるロマンとして。ミマ(柀)のキ(伊邪那岐神の岐=男性首長)、すなわち、邪馬台国の近所にある強国『柀馬』の長が、女王国連邦においても、なんらかの強い職制を得ていたのかもしれません。

ま、きわめて個人的な思いなんで、学会の定説とはまったく関係ありません。

もうちっと妄想を膨らませるとですね、任那ってのがあるでしょ?考古学的に朝鮮半島ではみつからないので謎の任那。でも日本書紀神功皇后(しばしば卑弥呼と比定されている皇后)の条ではシッカリ皇后が攻め入ったと書いてある任那。だから、神功皇后なんていなかったんだということになっちゃっているわけですが。いわゆる神話にすぎないんだよと。でもね?この任那=ミマナが、『柀馬』の那(=クニ)であったらどうでしょう? 任那が九州にあった「親朝鮮半島」のクニであったとしたら? 任那韓半島にみつからなくて当然ということになります。
ここまで考えてみて、投馬国=任那ってどこですか?と…私なんぞは考え込むわけなんです。私は、神功皇后は、卑弥呼の後を襲った豊=台与(よと)であったと考えておりますから、近畿にバックボーンがあり四国から攻め入った台与勢力(実は近畿勢力の分家筋なのでノチノチ苦労するわけですが)が、倭人伝に言う卑弥呼の女王国の本拠地を攻め落とした後、まだ造反している九州内の『柀馬』ともども九州全土を平定した物語の反映…としか、日本書紀を読めなくなってしまっています。朝鮮半島神功皇后は行かなかった!と思えてならないんですよね。考古学的にも歴史資料的にも、示されているように。たぶん、倭人伝で言うところの卑弥呼は、日本側の資料では実際には倭迹迹日百襲姫あたりではなかったかと思うのです。豊=台与(よと)は、日葉酢媛命あたり。実に説話と関連性が出てくるからなのですが。ま。このへん、説明しだすと超長いので、そろそろおしまいにします。