山は動くか::イエスの教え

tsibbur という「ラビ・ヘブライ語」の単語があります。

ラビ・ヘブライ語は第二神殿の時代以後でも日常的に理解されてきた言語のようです。なによりも、ラビ・ヘブライ語は神学上・律法上の討論をする際に、よく使われていたようです。律法学者などと対峙し論争したイエスもまた、当然知っていたことでしょう。

単語、tsibburには、聖書ヘブライ語的には「山」の意味があります。
単語、tsibburには、ラビヘブライ語的には「会衆」の意味があります。

新約聖書によれば、イエスが、信仰があれば山をも動かせると教えたそうですが、これは、本来、「会衆」を動かせる、との教えだったのではないでしょうか。山を動かせるという教えに従って実際に信仰をもってして山を動かすことができた聖人などおりますまい。しかし、会衆を動かした聖人は多くいるはずです。 山が動くなどという変な教えを信ぜよと言うように・・・私はイエスを嘘つきよばわりしたくはありません。 イエスは、その時点で、ラビ・ヘブライ語を用いたのであり、「会衆」の意味でtsibburという単語を使ったのでしょう。

とどのつまり、ギリシャ語にて編まれた新約聖書では、ラビ・ヘブライ語のtsibburの意味をとらえそこねて「山が動く」という誤訳をしたのだということになります。

新約聖書が一切の誤りをもたないという逐語霊感説、によれないことを示す好例ではないかと思います。