邪馬台国時代の諸国家の官名について恐るべき考察

長年の邪馬台国ファンの私ですが、以下の考察には、本日久々に、度肝を抜かれました。

少々引用させていただきます。邪馬台国ファンなら一撃で悩殺。



_  ↓この段に注目
_  伊都国   官曰 爾支  副曰 泄謨觚、柄渠觚
  一支国   官亦曰 卑狗  副曰 卑奴母離
  対馬国  其大官曰 卑狗  副曰 卑奴母離
_  ↓
  不彌国    官曰 多模  副曰 卑奴母離
  投馬国    官曰 彌彌  副曰 彌彌那利
_  ↓
_  奴国    官曰 ジ馬觚 副曰 卑奴母離


魏志倭人伝』というのは邪馬台国卑弥呼さんの話が出てくる中国の歴史書です。

その中に「邪馬壹国・・官有 伊支馬 次曰 彌馬升・・」という文章があります(漢字の羅列・・うへっ)。この文から、邪馬台国に「伊支馬」という名前の官職や「彌馬升」という官職があったと、一般的には理解されています。

しかし、たけ(tk)は最近、この文章にある「伊・支・馬・彌・馬・奴」という漢字は、その直前に書かれている国名(の中の1文字)と一致しているということを発見しました。従って、これは国名の略称として読むべきではないか、という趣旨の文です。

その線で読み返すと、邪馬台国は各国からの代表者で運営されていた、ってことになるでしょう。

邪馬台国時代の諸国家の官名についての実に恐るべき考察・大発見であると思われます。 何がすごいかといって、国家連合と国家の間の統属関係、官の派遣の仕組みが、魏志倭人伝には細かく明確に書いてあったのだという…

※個人名ではなく官名であるという仮説には私も以前から賛成でしたが、ここまですごい考察は初めてみました。レベルが違いすぎます。非常に説得力があります。いえ、異常に説得力があります。手放しで褒めちぎるのは私だけではないはずです。

卑弥呼と卑弥弓呼


倭女王 卑弥呼 與 狗奴国男王 卑弥弓呼 素不和

倭の女王は、女王国とその国家連合の長でありました。対抗していたのが狗奴国です。女王国の女王が卑弥呼で、狗奴国の男王が卑弥弓呼。

さて、一説では、女王と卑弥呼とは並列表記、男王と卑弥弓呼が並列表記、と考えます。当時の中国語で女王に相当するのが、倭人の言語で卑弥呼と称する。当時の中国語で男王に相当するのが、倭人の言語で卑弥弓呼と称する。辞書的な表記ということです。そうしてみると、

倭の女王(倭人語では卑弥呼と訳される)と狗奴国の男王(倭人語では卑弥弓呼と訳される)とは、素(もと)から不和であった。

つまり、倭の女王と狗奴国の男王とは、以前から不和であった、としか書いていないことになります。

つまり、魏志倭人伝の立場では、卑弥呼と卑弥弓呼とは個人名でも官名ではなく、それぞれ単語の翻訳による言い換えでしかない。女王、男王、を示すものでしかない。

…とまぁそういう説があって有力なんですよね。だから、ヒミコさまぁ〜。などと個人名のつもりで萌えてはいけないはず。女王様〜(はぁと)という意味合いならヨシ。SMですか?ま。一般的に有力な仮説なんですよね。

でもまぁ、私には反論があるわけです。単なる単語の読み替え、翻訳じゃぁなかろうと。ここから私の前からの思いつきを。ごく簡単に。結構自信あり。

当時、方言差でもって、ビとミの中間の発音があったはず、と私は見ます。MとBの中間。今でもわかるその痕跡は、たとえば、恵比寿(えびす)と蝦夷(えみし)が昔は同一の単語とされていたことなど。これを意識すると、卑弥呼の発音が、ビ(=ミ)・ミャル・ス(=ク)、あたりの周辺にあっても良いと思われるのです。こうなってくると、彌馬升(通常、みます、などと読まれています。)という官名と女王=卑弥呼とは同一単語の発音差があるだけ、という推察ができるのです。また、男王=卑弥弓呼は、彌馬獲支(通常みまかき、などと読まれています)の同一単語の発音差があるだけ。


男王=卑弥弓呼=彌馬獲支
女王=卑弥呼=彌馬升
この対応性が、私が思いついていた面白い部分です。すると倭人伝から以下に引用する部分の解釈が変わってくるんですね。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。

まず、女王国連邦の長である女王=卑弥呼=彌馬升があり、その下に官として伊支馬がある。ここまでが、女王国連邦としての仕組み。さらに、女王の都するところの邪馬台國の国の仕組みとして、彌馬升(女性)が君臨し、次に彌馬獲支(男性)がいて、さらに奴佳テ(性別不明)がいる。女王国連邦と邪馬台国としての組織とが直列で書かれてしまっている、そのように捉えるわけです。従来説では、卑弥呼→伊支馬→彌馬升→彌馬獲支→奴佳テ、の長々しい5層があったのですが、これをレベルの異なった3層プラス2層と捉えられるわけです。
女王国連邦と邪馬台国のレベルの峻別は、実は結構大切でして、邪馬台国がどこにあったのか?という分析におおいに響いてくるのですよね。多くの論者が女王国連邦と邪馬台国を同一視してしまうため、魏志倭人伝の地理的案内を非常に複雑に読んでしまうわけです。異説がいっぱい出るわけですよ、本当に。そういうわけで、女王国連邦と邪馬台国のレベルの峻別が、卑弥呼=彌馬升という視点でもって証拠立てられることは、おおいによろしいということになるわけです。
おっと。敵国である狗奴国には、男王=卑弥弓=彌馬獲支が長としているのですよね。もちろん。

上の見地と、たけさんの、『伊支馬=伊都+一支+対馬』とは矛盾していませんし、お互いを補強しているかのようにも見えます。このへんがちょっと嬉しいのですね、個人的には。


女王=卑弥呼=彌馬升

さて、上の公式を証拠だてる別方面の状況があるかないか考えて見ますと。まず、第7代孝霊天皇の皇女であった倭迹迹日百襲姫について考えて見ます。倭迹迹日百襲姫を定説によらずに分解してみます。まず、倭迹。ここまででヤマトと読むやりかたが実は用例があるのですね。つまり、倭迹(やまと)・迹日百襲姫。ここから、倭迹(やまと)・迹日(とび)・百襲(ももそ)姫、と読むのが普通らしいのですが。でもね、本当は違うのではないかと。迹日(とび)ってなんだよ?という疑問が出るからです。私なら、倭迹(やまと)・迹(つ)・日百襲(びばす)姫、と分解します。『・迹(つ)』は助詞ですね。現代風で言えば、『の』。倭迹(やまと)・迹(の)・日百襲(びばす)姫ですね。

日百襲(びばす)姫!というのが大事なところなんです。これ、彌馬升と通用しませんか?MとBとがなまっている感じで。


女王=卑弥呼=彌馬升=日百襲

…もっともっと責めちゃうよ。

第11代の天皇である垂仁天皇の奥さんのひとりの名前を調べてみますね。日葉酢媛命。これ、普通は「ひばす」と読むんですよね。


女王=卑弥呼=彌馬升=日百襲=日葉酢

第9代開化天皇の皇女に、「御真津(みまつ)」比売命がいますね。


女王=卑弥呼=彌馬升=日百襲=日葉酢=御真津

第10代の天皇である崇神天皇の奥さんに御間城(みまき)姫がいます。


女王=卑弥呼=彌馬升=日百襲=日葉酢=御真津=御間城

…こうしてみると、代々の皇后ないし皇女の名前とされる一群に、卑弥呼=彌馬升が組み込まれうると考えてもよさそうです。発音の差がありますけれどね。

投馬国ってどこですか?本当にあったの?

ついでに。邪馬台国の近くにあるはずの強国、投馬国について考えて見ます。従来説の多くでは、投馬国について、『つまこく』などと読んで、イズモではないかとか、サツマではないか、どこかのツマではないか、など、比定しているわけです。でも決定打がどうもないわけです。
どうせ決定的じゃないのなら、私案を提出してみようかなと。いわば、『投馬国はなかった(笑)』


その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。ジ猿・黒雉あり。

上は倭人伝からですが、『投』の字があることに注意。これ、文脈からして≪木≫の一種なんです。でも、『投』なんて木はないんです、普通は。何かの書き間違い。で、推定されているのが、毛筆で書かれた写本の段階で転写ミスがあったはず、ということ。毛筆で『投』の字に似ているのが、『柀』なんですね。木へんに皮でヒトモジです。これ、古代において中国式発音(上古音ないし中古音)は「ビ」なんですが。意味は、「すぎ」。木の名前。というわけで定説ではスギの木が邪馬台国にもあるんだよー、という文脈とされているわけです。

じゃぁじゃぁじゃぁ!ねぇ?『投馬国はなかった(笑)』と言えませんかね?本当は『柀馬国!』発音は、ビマ。

もっとも、古代日本語で、単語のしょっぱなに濁音がくることはナイとされていますから、ビマじゃ駄目っぽい? ここで必殺。 ビとミの中間の発音があったのでは?B=Mの中間。だから、ここでは、『柀馬国』と書いて日本語で『ミマ』と読んでみる。この読み方、結構重大なんですよね。私が思うに。投馬国の位置が不明でも、ミマ国なら、ひょっとしたらわかるかもしれないですから。それに。そもそも、卑弥呼=彌馬升の『彌馬』って、『柀馬』と関連が出てくるかもしれません。 古事記にせよ日本書紀にせよ、登場人物のうち一部のお名前には、土地に由来する名前がついていることが多いことは知られているのです。ならば!彌馬升って、土地名である『柀馬』の長であるかもしれないんです。それに、ミマキイリヒコなんていう皇族もいたんですよね。考えられるロマンとして。ミマ(柀)のキ(伊邪那岐神の岐=男性首長)、すなわち、邪馬台国の近所にある強国『柀馬』の長が、女王国連邦においても、なんらかの強い職制を得ていたのかもしれません。

ま、きわめて個人的な思いなんで、学会の定説とはまったく関係ありません。

もうちっと妄想を膨らませるとですね、任那ってのがあるでしょ?考古学的に朝鮮半島ではみつからないので謎の任那。でも日本書紀神功皇后(しばしば卑弥呼と比定されている皇后)の条ではシッカリ皇后が攻め入ったと書いてある任那。だから、神功皇后なんていなかったんだということになっちゃっているわけですが。いわゆる神話にすぎないんだよと。でもね?この任那=ミマナが、『柀馬』の那(=クニ)であったらどうでしょう? 任那が九州にあった「親朝鮮半島」のクニであったとしたら? 任那韓半島にみつからなくて当然ということになります。
ここまで考えてみて、投馬国=任那ってどこですか?と…私なんぞは考え込むわけなんです。私は、神功皇后は、卑弥呼の後を襲った豊=台与(よと)であったと考えておりますから、近畿にバックボーンがあり四国から攻め入った台与勢力(実は近畿勢力の分家筋なのでノチノチ苦労するわけですが)が、倭人伝に言う卑弥呼の女王国の本拠地を攻め落とした後、まだ造反している九州内の『柀馬』ともども九州全土を平定した物語の反映…としか、日本書紀を読めなくなってしまっています。朝鮮半島神功皇后は行かなかった!と思えてならないんですよね。考古学的にも歴史資料的にも、示されているように。たぶん、倭人伝で言うところの卑弥呼は、日本側の資料では実際には倭迹迹日百襲姫あたりではなかったかと思うのです。豊=台与(よと)は、日葉酢媛命あたり。実に説話と関連性が出てくるからなのですが。ま。このへん、説明しだすと超長いので、そろそろおしまいにします。