載斯烏越と都市牛利は同一人物なのか

ひょっとしたら同一人物なのかも

ということを思いついてしまいました。都市牛利は都市牛和であろうと前回も書きましたが、倭人サイドでの発音をツシコヲとするならば、載斯烏越と相応してくるのではと電撃的に思いついたんです、夢の中で(笑。なのでこれから調査予定です。

夢の中で

載斯烏越の烏はカラスのことで、古来から中国では「カァ」などカラスの鳴き声を鳥の名前としていたとの説明を聞いたことがあります。越が「wo」をあらわす場合もたしかあったようですから、烏越は牛和に似てきます。市と斯の発音はともに「シ」。載の字の子音は中国上古音で「ts」であったようですから、倭人の発音の「ツ」にあてた可能性があります。それなら載と都とは、同じだったのかも…はて。

烏の発音

後漢の『説文解字』という書物に、儒教の祖の孔子の言葉としてのっているそうですが「烏は自分のことをかぁと呼ぶ」と言ったのだそうで。烏という字の発音とカラスの鳴き声が同一であるということを孔子が洒落て指摘したのでしょう。
中国音韻学でいえば、烏の字の発音は、昔の中古音においては、[摸]韻という韻母に属し<影>母という声母になります。すなわち、母音的には「オー」に似ていますし、子音的には、喉を詰めるような子音になります。これが時代をさかのぼって上古になると韻母が【魚】部になりますので、推定音価は「アー」に似た音になります。ただし、そうは言っても、上古での「烏」の母音は奥舌で「オ」に近いニュアンスでの「アー」になります。喉を詰めるような現代日本語にはない子音なのですが、これを語頭につけてやると、烏の字の発音は「コー」に近い「カー」、ただし、子音はkではなくて…ま、烏の鳴き声を本当にまねようとしたらkの発音ではうまくないことがなんとなくわかるかと思います。もうすこし奥のほうから出てくる音ですね。
中古音であれ上古音であれ、「烏」の発音は、『喉音』というタイプになります。

この変な子音をIPAで書くとどうなるのかな?

『ʔ(ʔ)』という子音の記号のはずなのですが、これ、声門破裂音なのですね。現代の言語ではたとえば、ハワイ語でのハワイの3文字目のイの直前の子音がこれなんですよね。でも現代の中国では標準語でも広東語でも使っていないと思います。上古や中古の中国語で使われていたけれどその後変化しちゃっています。
似た子音をついでに書いちゃうと、おなじみの『k』は、無声軟口蓋破裂音、『h』は、無声声門摩擦音、となります。これのあいのこが、今話題にしている声門破裂音なのでしょうね。IPAではそうであって、中国音韻学でいえば『喉音』のくくりなのでしょうけれど。

※上記は森博達教授(中国語学)がなにかのコラムで書いていたものを参考にしています。

万葉集での『喉音』と『牙音』

奈良時代万葉集でカ行の発音を書き留める際に、たとえば「か」をひきあいにだすと、牙音k系の漢字である「歌」も喉音h系列の漢字である「訶」もつかっています。それでは、喉音の声門破裂音の字についてもカ行として通用したかもしれませんね、卑弥呼の時代であるならば。

烏をもういちど発音してみる。

卑弥呼の時代の倭人が発音した、子音が弱い「コ」の発音を、中国人が聞き取って、漢字表現してみたときに、「烏」の字がふさわしいのかどうか、悩みながら発音してみます。オに近い音をもつ「アー」の頭に弱い喉音の声門破裂音の子音を乗せて、「こー」。からすの鳴き声のように。

載斯烏越

各種の倭人伝の解説を読んでも、この人物の読み方がハッキリ確定していないですね、難読の部類でしょう。『ツシコヲ』と、ギリギリどうやら読めそうだと、ここまでで書いてきたわけですが、そうなると、都市牛和という人物名と一致します。

卑弥呼が派遣した複数回の遣魏使団メンバーの中でも最初のほうの都市牛利と最後のほうの載斯烏越とが、まるまる一致することになります。これは非常に大きい手がかりになるかもですね。文献史学的には。 派遣について記録した中国側の文献とは、おのおの記録者が異なるのであって、それを後に、倭人伝の著作者が引き比べてあわせもって記述したのだけれど、まさか二人の人物が同じ人だと思わなかった、なぜなら、著作者は烏がかぁと鳴くことを忘れていたから。複数回の派遣団のメンバーに大きな変動がなければ、政権内にも大きな変動はなかったと考えられます。そうすれば、卑弥呼がいつ死んだのかの手がかりにもなります。

さてさて、そうなってくると、いよいよもって、ツシコヲとは何者なのか、日本書記や古事記あたりに、そういった系統の人物がいないのかの探索をしてもいいかとも思います。

ま、たぶんかつてない大胆すぎる仮説なので、100年たっても定説にはなりそうにもありませんけれどもね(舌

わかんどほりは太陽の子

とかいうのも夢で見たので、近いうちに、絶対。わかみたほりの「みたほり」部分の語源がわかったかもしれない…

高句麗語表現の牛(12月17日追記)

17日に関連しないかもしれない気になることをみつけました。載斯烏越の斯烏の部分の語順をひっくりかえすと烏斯なのですが、これ、驚いたことに古代高句麗語表現で牛でした。がーん。ウシと読みます、はい。そうかぁ。日本語でウシというのは韓半島からの外来語だったのですねぇ。倭人伝には倭地に牛馬なしと書かれていますからねぇ。3世紀には牛はいないことになっています。(ただし、骨は若干ながら考古学的にみつかっているようですが)
おっと。だから、原文においての載斯烏越が、本当は載烏斯越の誤植だったとして、これが、載【うしもーもー】越だとするならば、都市【牛】わと、比較できるかもしれないということに。高句麗語系の通訳によって倭人名が記されていたかもということに。 これは泥沼になりそうではあります。