ギルガメッシュ王がしゃべった「タワム」

個人的記憶のためメモ。今日知って驚愕したので。驚愕の理由と併せて喚起される古代日本語関連。
ギルガメッシュ叙事詩の時代に彼らが使っていた言語において「撓む(タワムと読む)」に相当する単語は、同時に、意味合いとして「垂れる」「たわわ(くだものとかおっぱいとか)」「十(かずのじゅう)」のイメージを有していたとのこと。興味深い問題は「十」と「垂れる」「たわわ」の言語イメージが重なっているところ。穀物の生育の完成。垂れる麦の穂ないし稲穂。成長する植物生命の充足完了の視覚イメージが十進法数詞の完了である「十」に連結される、擬似的な統合イメージがギルガメッシュの時代の中近東にあったことになる。
古代日本語において知られているのが、豪族物部氏がいだいていた呪祝のための数詞「十」を「タリ」と発音すること。生命イメージの成長の完了をイメージしていて「満ち足りている」というイメージ習合があったのかもしれない。人類の思考パターンとして古代ギルガメッシュと古代日本は農業を通じてなにか共通の神学パターンを得たのかもしれない。
古代天皇にみられる「タラシヒコ」の「タラシ」ってなにものだ?という論議があるけれど、それは「根源的な生命の」「十=足」と考えればよいことになる。なにせミコト=「命」なのだから。
先代旧事本記においてアマテラスが岩戸で隠れたのち「ひとふたみよいつむななやここのタリ」と言われて喜んで顔を出したというが・・・現代の神道でも「たり」が使われている。