御間都比古神社

邪馬台国=近畿説に有力に作用するかもしれない御間都比古神社。先日書いた拙論では、倭人伝にある投馬国は、投の字が間違いで「木偏に皮のビ=ミ」を使ったミマ国であるとしました。御間都比古神社というのが、四国は阿波國、吉野川流域の美馬の地にあるのですね。美馬一帯が投馬であると比定しうるのならば、邪馬台国の地は、倭人伝にある行程距離からいって相対的に近畿であってもおかしくないわけです。
でも私は邪馬台国=南九州説をとりますから、上の説はちょっと変かなぁと思ったりします。 伊都国から美馬まで、ちょっと遠すぎると思うのですよね。水行20日では届かない…
そこで今考えているのが、投馬の地として九州は水俣の良港。
実験考古学において宇土地方から大宰府まで東シナ海側を行って手漕ぎで11日ほどかかっているようなので、まぁ妥当ですかねぇ。でも伊都国から投馬までは、おそらく有明海経由のはずなのでもう少し考えて見なくては。当時は地乗り航法のはずですから・・・