勝手な推測:日本上代においてトともコともつかない発音があったに違いない

舌先の破擦音としての[ts]に近いのだけれど、より奥舌的な、軟口蓋的な、あるいは、硬口蓋的なんだけれど母音との関連で奥舌というか。そういった子音が上代日本にあったのではないかという非常にトンデモな推測。軟口蓋破擦音。身勝手だけれど、[τ]という音声記号を勝手に発明。

というのは、万葉集などに出てくる、出雲にかかる「やくもたつ」と「やつめさす」が、方言差でしかないに違いないという仮定を考えてみたから。「やつめさす」の「つ」が、さきほどの記号を使えば[τu]の発音にあたると仮定。これ、破擦音から閉鎖音に簡単に移行できそうで、その場合には、軟口蓋閉鎖音の[ku]=「く」に変化することとなります。一方、破擦音の性質はそのままに、口蓋の舌の奥から舌先に移動すれば、発音は[tsu]=「つ」と聴き習わされることになるでしょう。「やく」と「やつ」の表記が共に奈良時代に存在する所以です。「やくもたつ」と「やつめさす」の残りの音の説明も考えて見ます。まず「も」と「め」。「も」が「も(乙類)」ならば、移行は自明です。変な比喩ですがドイツ語のオーウムラウト的な母音を持つ「も」であったとするのです。他にも事例はいっぱいありますから特に問題があるとは思われません。残りの「さす」なのですが、奈良時代において、「さす」と表記して実際の発音は[tsatsu]であった蓋然性は極めて高いと言われています。これが破擦音から閉鎖音に移行すれば[tatu]となりますので、「たつ」と表記されるようになることに疑問はありません。従って、上代の一地方(出雲)の「やつめさす」が奈良時代において「やくもたつ」となることに全く問題を感じません。立派な転音だと個人的には思います。

以上の考察には副産物があります。ほかならぬ「出雲」=「いづも」表記の理解についてです。私は「いづも」を「い」プラス「つも」と分解してみたく思います。そして、上代出雲においては、「つも」は[τumo]と発音されたであろう、畿内中央音では[kumo]に相当する単語であったであろうと考えます。実際に「つも」=[τumo]は意味合いとして「雲」の語義を持っていたであろうと観じるのです。そして「出」は「い」と発音可能かもしれませんし、ひょっとしたらむしろ、いわゆる発語として「い」を必要としたのではないかとさえ思うのです。従来説では「いづも」を「いづくも」と考えていますが、その場合にはドコに「く」が消えてしまったのであろうかと私のような者は悩んでしまいます。この個人的な違和感を解消することが出きる仮説を今、書いているわけです。

さて。世界中の言語で、軟口蓋破擦音を使っているものは一切ないようです。どうやら人類には発音しづらい模様。私が身勝手に[τ]という発音記号を発明しているのもそのためです。いわゆるトンデモ説なのです。残念なことに。

でも。でもでもでも。この[τ]を使うともっと大胆な推測も可能になってくるのです。「常」の訓読みに「トコ」というのがあって、トコシエなんていう単語に使われるのですが、[toko]ではなく[toτo]が古代音として可能であったのではという推測です。 中世朝鮮では、「常」に[tottto]という発音をあてましたが、よく似ていますし、他にも面白い現象が観測されるのです。退院したら書いてみましょう。