ヤマイツ国ヤマタリ国

以下の論議はちょっと面白かった。


国名については、『魏志倭人伝(ぎし・わじんでん)には「邪馬台国」ではなく「邪馬壹国」(ヤマイチコク)となっている。しかし『魏志倭人伝(三世紀後半に成立)の後に編纂された中国の史書、たとえば 『後漢書』(三九八〜四四五年の撰述)などでは、 「邪馬台国」に変わっている。どの名称が正しいか論点の一つであるが、総合説では「邪馬壹国」から「邪馬台国」へ、さらにヤマト(大和)へと時間を追って変化・発展していったものとして、次のように理解する。
 沖縄に今も残る概念を当てはめれば、ヤマとは共同体の神の鎮まる御嶽(ウタキ)の別称であり、一つの村落共同体、あるいはクニをあらわす。統一された琉球王国の成立前を三山時代という。三つの山、すなわち三国が鼎立していたからである。邪馬台国の時代も国が「山」で表現されていたことが考えられる。
 ヤマイチ国の イチは日本語では壹(壱、一)ではなく、五つ(いつ、いち)のこととみるべきである。 時代はかなり下るが、中国から琉球王国へ使者(冊封使)として来島した徐葆光(じょほこう)は『中山伝信録(ちゅうざん・でんしんろく)』を著わし、そのなかで、 「琉球では五は一子子(イチチ、イツツ)という」と書いている。 すなわち中国からの正使が「五」のイツツ、またはイチチを聴いて「壹」を当てている例である。従って邪馬壹国のヤマイチとは山五(ヤマイツ、ヤマイチ)、すなわち五つの国家が鼎立(ていりつ)または連合した連邦的な国家のことと解すべきである。この場合の「五」は、「すべて」を意味する完全数の十(ト、タリ)の半数のことであろう。
 十(拾:じゅう)をタリと読む例として、島根県大田市にある物部神社の鎮魂祭において、アメノウズメに扮した人が一から十までを繰り返し数える呪文があり、「ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、たり」と唱える。一方、五という数字は沖縄の神歌では七の対語であり、合わせて「多数」の意味を表わす一種の聖数となっている。
 このように考えるとヤマイチ国は、「多数のクニが連帯して一つの連邦的国家を形成しているがまだ発展途上にある」という意味を持っており、当然それは、「山十国」すなわちヤマタリ国またはヤマト国を目指す拡大・発展途上の連合国家ということになるであろう。ヤマタリ国は九州的発音では、「ヤマタイ国」であったと思われる。

似たようなことを考える人もいるのだなぁと。いつも思うのだけれど私の頭は独創的ではない。