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■my無理数クイズ(解答編)
問題編はどこに
my無理数クイズの反例を具体的に構成
『を』さんから以下のようにコメントにて解答を頂戴いたしておりました。
- # を
- 『「my無理数クイズ」反例 x=√3, y=2*log(2)/log(3)』
- # hoshikuzu
- # を
- 『y を有理数だとすると、y は正なので y=p/q, (p,q は自然数) と書けます。 3^(y/2)=2 の両辺を 2q 乗すると 3^p=2^2q となって矛盾します。』
- # hoshikuzu
- 『GoodJob!!ですね♪>「を」さん。
- 『「を」さん、こんにちは。yは無理数ですか?
確かに常識的にそんな気はしますけど明白ではないですよね?どうしたらよいでしょう?』
- 『軽く検算しましたが、3^(y/2) = 2 となる y は本当に無理数でしょうか?』
3^(y/2)=2 …(1) となるような y が有理数であるとすると矛盾することを示されたわけですね。 背理法を使うこととして、 yが既約分数で表せると仮定、すなわち、 y=p/q (p,q は自然数) と書けるとすると 矛盾することを示すことが出来ると。ふむふむ。 (1)の左辺を2q乗すると、指数法則により (3^(y/2))^(2q) = 3^( (y/2)(2q) ) = 3^( (p/2q)(2q) ) = 3^p となり右辺はすぐに 2^(2q) ですから 3^p = 2^(2q) …(2) (2)式の左辺は3以外に素因数を持たない。 (2)式の右辺は2以外に素因数を持たない。 従って(2)式は成立しない。これは矛盾である。 背理法により、 3^(y/2)=2 …(1) となるような y は無理数であることが証明された、と。 さて、以上により(1)式を満たす y は無理数なのですが、 同じく無理数である3の平方根を x とし、 x^y … (3) が有理数であることを示せれば面白い、 無理数の無理数乗が有理数となる具体例であるというわけになりますね。 (3) を変形していくと、指数法則により x^y = (3^(1/2))^y = 3^((1/2)y) = 3^(y/2) …(4) (1)式の y の定義により、 3^(y/2) = 2 …(1) であったかた(4)式の最右辺は 2 と等しい。故に、 x^y = 2 …(5) 結論: 無理数 x 但し x = 3^(1/2) = √3 無理数 y 但し 3^(y/2)=2 ※対数表示を許せばy=2*log(2)/log(3) なる x,y について x^y = 2 となる。従って命題、 「x, yが、ともに無理数であるときには x^y もまた無理数である」 には反例が存在するので偽である。 素晴らしいですね。具体的に反例を構成できていますから。
『を』さん、ありがとうございます。具体的な反例をしっかり構成しているところが素敵です。
反例を具体的に構成せずに命題の真・偽をとなえる
背理法も使わない、具体的な反例を持ち出さずわけでもないのに 今回の命題の偽をとなえる方法が実はありまして、高校時代に受験問題集の 立ち読みで知ったのですが、それがたいそう面白かったので いつまでも憶えている次第です。
面白さの理由というのはですね、存在証明の典型だからです。 で、具体的な構成は示さないのです。数学という学問ではよくこういうことをやります。
例をあげましょう。工学や応用科学、物理学などでは、微分方程式を解くことが よくあります。近似でもなんでもとにかく役に立つ解を求めるのですね。ところが 数学という学問では、解をどうやって求めるかよりも、そもそも解があるのか?あるとしたら どんなものなのだろう?という方向の研究が主軸になります。極端に言えば、解があることは 証明できるけれど、どうやって解を求めたら良いのかなんて全然知らないし興味もないケースすら ありうるのです。ですから、ともすると、微分方程式を具体的に解く実力は理系世界の中で 数学者が最もないのかもしれません。そもそも数学って計算ではありません、ということです。
『この中に犯人がいます。』と数学者が言いました。『で、誰よ?』ということなのです。 『犯人が誰かなんてわかりませんよ。この犯行を行えるとしたら、かくかくしかじかで なければならぬ、そうすると、ほげほげもげもげで、犯人は脱出が不可能なのです。』 『で。誰よ?』
具体的に犯人がわかるわけでもないのでしょうけれど、少なくともまだ逃亡していないのだ、 ということを、厳密にきっちり神様が異を唱えても論証できる数学という学問の力を あなどってはいけません。並みの探偵にはわかりませんし、天才的な犯罪者でも、数学者の 論証力を超えて悪事を働くことなど出来ません。
さて、具体的に解を構成しなくとも、解の性質なり解の存在証明なりの研究というところが 数学の数学たるゆえんであることをなんとかご説明したかったのですが、うまく説明できぬまま 以上で打ち切ります。すみません。で、くだんの命題が、この手の話題に関連してくるのです。
もとのmy無理数クイズを書き換えます。
というわけで雰囲気だけは存在証明の形になりました。世の中の存在証明は大体において2通り あるんです。ひとつは、存在しないとすると矛盾する、という背理法によるもの。ひとつは具体的に その存在を構成して明示する方法。前者の代表例としては、有理数ではない数が存在することを、 「2の平方根が有理数であると仮定すると矛盾が出てくる」とかがありますでしょうか。後者の 代表例としては、例えば、『を』さんの証明がピッタシ実例になっています。
ところが、この大きく分けて2通り、のジャンルに含まれない存在証明の例があるのですね。 第3のパターンです。背理法を使わない、かといって存在を具体的に構成してみせない。論理学の 言葉で排中律というのを使うところが特徴かもしれません。では、my無理数クイズで実例を以下に。
命題Ω: 「x, yが、ともに無理数で、 x^y が有理数となる x,y が存在する。」 命題Ωは真であることを示そう。 準備: z を √2 とする。すなわち、 z^2 = 2 …(1) ここで、 (z^z)^z について考えてみる。 指数法則により、 (z^z)^z = z^(z^2) (1)式を援用して z^(z^2) = z^(2) = z^2 = 2 であるから、 (z^z)^z = 2 …(2) であることがわかる。 以上で準備は終わった。 以下、排中律により命題Ωは真であることを示す。 ------ 次の命題A と 命題B は、必ずどちらかが真で その時に、もう片方は必ず偽である。このことは 有理数と無理数の定義により自明。 命題A: 「z^z は有理数である」 命題B: 「z^z は無理数である」 ------ 命題A が真ならば、 無理数z について z^z が 有理数であるから、 命題Ωは真である。 命題A が偽ならば、すなわち、 命題B が真となり、ゆえに 無理数z^z について やはり無理数であるz乗を試みると 既に準備で(2)式に示しておいてあるように、 (z^z)^z = 2 である。故に 命題Ωは真である。 これらのことから 命題A が真であるか偽であるかは 不明だが、真偽によらず 命題Ωは真であることが帰結される。 すなわち、無条件に 命題Ωは真であることが帰結される。 証明終わり。
以上の証明は、面白いことに背理法の体裁を持っていません。 また、結局のところ、z^z が無理数なのかどうかについては 述べていません。具体的な無理数x,yを示して x^y が有理数となる、、ことを論証していないのです。 つまり具体的な構成を行っていないことになります。
「を」さんからコメント欄で投稿頂いた証明では 背理法を使いつつも、反例の具体的な構成を行っています。
好対照ですね♪
形式主義・論理主義・直観主義
へなちょこな話が始まりますので読み飛ばしてください。【謎】
20世紀の数学にとってもっとも大きな流れの始まりはなんといっても形式主義の確立でしょうか。 突然こんなことを書き始めていますが、申し訳ありません。命題Aか、もしくはその否定命題Bのどちらか 一方は必ず成立する、というのが排中律の肝心なところなのですが、この排中律に異議を唱えた 数学者の一派があったのです。「それって証明に使っていいのかよ?特に無限を扱う場合って どうよ?」という気分だったのでしょうか。やはり無限集合について考えあぐねた一派がいて、 論理主義を標榜して活動をしておりました。要するに古典的な数学の根本が不安定で何を 証明しても厳密でないような気がしてきた、こいつは駄目だ、足元グラグラやんけ、という 気分が蔓延したのですね。
で、大数学者ヒルベルトが音頭を取って数学の根本を見直す本流の潮流が勃興したのですね。 それが形式主義。いや、数学には門外漢の私が言っているので大嘘まじりかもしれませんが。
ヒルベルトっていう人は、みんなを集めて難問集を数学者に提示したのです。 20個あまりあって、いまだに解けていないのがあります。これの第7問題が、これまた難問でした が、ゲルフォント・シュナイダーの定理として解けていまして。非常に力のある定理なので、 たとえば、2 の √2 乗が 無理数(その上、超越数)であることまでわかってしまいます。
my無理数クイズの z^z なんて、無理数であるかどうかなんて本当はかなり難しい問題なので しょうね、きっと。なお、2 の √2 乗が超越数であることを既知とすれば、 √2 の√2 乗 は 無理数であることを、id:smoking186 さんによるきちんとした証明がりまして、 ご自身の日記で書いていらっしゃいます。
あぁよかった。 √2 の√2 乗について高校時代に手を出さなくて(笑)。
あぁぁぁぁ、大脱線しています。この節はタイトルが形式主義・論理主義・直観主義なのです。 ぐはぁ。論理学のお話。で、そもそも数学の門外漢である私がなにゆえこのような話題に 興味があるかというと、まず興味が出てきたのが直観主義なのですねぇ。直観主義の良い ところは、かならず具体的な構成を行うところがポイントなのですね。その根底に排中律への 疑義がある(らしい)。でも直観主義では背理法は使う、なんだそれ?というのが興味が あったのです。排中律を使わないで背理法だけは取り入れる論理学ってどうよ?みたいな 気分があったのですね。そして、もうひとつ大問題が。
私はどちらかというと物理学に興味があるのですが、わかったこと。この宇宙は、 形式主義の論理でも論理主義の論理でも直観主義の論理でも動いていないという厳粛な 実験事実があるということなのです。量子力学をきちんと数学の、いえ、論理学の 根本にたちかえって調べていくと、そこには予想もしなかった、【量子論理】という 新しい論理構造が出てきちゃったのですね。ものの本によりますと、【量子論理】は 【古典論理(形式主義で武装)】を軸に【直観論理】と反対側にあると言うのですわ。 その反対側のニュアンスがどうも排中律にあるらしい。そういえば量子って人間の 想像を超えた変な性質があるけれど確かに排中律まわりで何かありそうだと膝を 打つわけです。
まったくもってなんのこっちゃい、なのですけれどねぇ。わからない私にこんなこと 聞かされる身にもなれということで。2chあたりを検索したけれど、【量子論理】って 数学板には全然出てこないのでちょっと寂しい気がします。だってこの大宇宙の素粒子君達は 私たち人間が使っている論理学【古典論理】には従っていないのですよ? 驚異ではないでしょうか?たいていの哲学者はこんなに面白いこと知らないで 死んでいくのだよなぁ、とも思ってこれまたちょっと寂しいです。
このあたりを正確にわかりたいと思うならば、数学について数学する学問がありまして、 つまり、数学的に研究する対象として数学そのものを題材にする自己言及的学問なわけですが、 「数学about(数学)」という名前だと面倒なので「数学基礎論」という学問名称になっております けれど、この数学基礎論をしこたま勉強して、竹内外史先生あたりの研究をひきついで、 しかも、数学の本流からは離れてしまっている世界で研究する覚悟にならなくてはいけない ようです。つまり、通俗的な解説書はたぶん出ていないはず。出ていたら教えてください>誰となく。
まぁアレです。私は宇宙や人間の根源についてのアレゲが大好きなんです。
ほうら、ちゃんと、形式主義・論理主義・直観主義のタイトルにふさわしく なったでしょ?え?なっていない?そうですね。すみませんです。
もっとするどいツッコミ。無理数クイズとなんの関係があるのか?あわわわ。
排中律です!【謎】。シュレーディンガーの猫が生きているか死んでいるかは わかりませんが猫という状態関数が時間発展しています。その存在証明という脈略で、 論法としてはすこぶる同じ香りがしてくるのですよね。どっちでええやん、どっちにしろ こういう結論なんだからさ、という気分がわかって頂ければと。
次回予告
古代エジプトの神・ホルスの眼について
謎のエジプト式大福帳。半分の半分を足しても?
パピルスに書かれた真の方法。2/3だけは神格があった?今暴かれる謎。
予告無く番組を差し替えるかもしれません。多量に 検索エンジンまわしていて面白かったのでメモしたいのだけど、さすがに排中律だけでこんなに時間がかかるとは 思いませんでした。これでも勢いだけで書いていますのに。