The Other Side of the Mountain a.k.a.:"A Window to the Sky"

あの空に太陽が

映画館の闇をつらぬいて青空がスクリーンに映っていた。私は幸せだった。やっと幸せになったのだった。映画の主人公(彼女)は突然の不幸な事故により人生を捨てるほかないほどに苦しんできたのだが、苦しみを共に分かち合ってくれた、優しく力強い彼ともうじき結婚できる。彼女は今幸せの絶頂だった。私も彼女同様幸せだった。

先に自宅に戻った。彼は後から来る。こうして車イスにのっていても窓から見えるあの青空を超えて。あの山を越えて飛んでくる。ほら、プロペラの音が聞こえるような気さえする。もうすぐだ。でも待ちきれない。

突然の電話。訃報。彼は天国に召された。飛行機事故だと言う。ここまで来れなかった!神様!お願いです。

映画は、、そこで終わり。私は狼狽し慟哭した。彼女と共に泣くしかなかった。オリビア・ニュートン・ジョンの美しい歌声でエンディングテーマ。

Clouds strung like beads in a grey silent sky
      And I watch them and simplify my mind
One thing is clear I know I will begin from here
...

この映画の邦題は『あの空に太陽が』だ。おそらく、原題の副題『A Window to the Sky』から引き出した邦題だろう。車イスから見つめた窓から見える美しい空なのだろう。そして、オリビアも歌っている。

ビーズ玉のように連なった雲が、灰色で静かな空に浮かんでいる。そして私は雲や空を見つめて心穏やかにする。たったひとつわかること。それは、私はここから始めるのだということ。

clearは、『明白』『確信』というニュアンスと、晴朗(クリア)とをダブルミーニングしている。悲しみのあまり暗い空が、やがてクリアになること。それを『太陽』が象徴しているのであろうか。邦題の『あの空に太陽が』はトリプルミーニングだ。この邦題からいったい誰がこんな結末の映画であることを予想できようか!この映画のコピーは『私は生きてゆく−− あなたの愛をしっかりとだきしめて あの空に輝く太陽のように……』であった。

小さな映画館を出た。私はまだ泣いていた。その映画のグッヅはしこたま買った。一緒に見に行った友人は私にあきれながらも何も言わずに受けとめてくれていた。

ほどなくして私はオリビアが歌っていた曲のスコアを探した。ピアノ向きの曲だ。しかしどこにも無かった。サントラ盤を手に入れた。コピーした。何度も何度も聞いてはコピーした。ピアノで音を拾った。編曲して両手で弾けるようにすらなった。歌詞も完璧に覚えたのだが、今はもう、最初の数フレーズを残して忘れてしまっている。そのことがちょっと悲しい。

人が死ぬ事

『あの空に太陽が』は実話に基づいた映画だ。人が本当に死んでしまう。昨日まで元気だった人が突然に死ぬ事を私はとても悲しんでしまう。実生活では友人を自殺でなくしたこともあったがそのときにもひどく悲しかった。その友人とは同じ女性を同じ時期に好きになり、そして実際に交際にこぎつけたのは私のほうだったからそのことも苦しかった。友人は共に仕事でがんばってきた戦友だった。突然死んでしまうことへの耐性を私は未だに持てないでいる。

小説作法・ものがたるということ

神という作家は突然に同胞を天に召される。小説作法としては落第だと感じる。映画『あの空に太陽が』ばかりの話ではない。毎日毎日この瞬間も死ななくていい人が死んで行く。たった今まで元気だったのに天に召されて行く。覚悟するゆとりすら与えずに人はいなくなる。神はイジワルだ。

せめてツクリモノの世界ぐらい、突然に死をもたらさないで欲しいと私は願わざるをえない。作家はキャクターの生殺与奪一切全てを握っているのだから。覚悟の時間を与えて欲しい。そしてこの世界もまた創造主のお造りなったものなのだから、神様、お願いです!突然に取り上げないで下さい。

地元では祭りです。

祭り中

昨日も祭り今日も祭り明日も祭り。昨日は気がね無く飲める仲間と痛飲してきた。ウチひとりはかつて会社へのストを計画し【私】がそれを微塵にうちくだいた張本人なので普通なら仲がいいはずないのですが。(弁解しておきますが命に関わりのないストライキの権利は労働者に保障されるべきと考えております。子供の頃から。)もうひとりは同会社の元役員様。今は退社している。今日は久し振りにデート。どうやらフェンディ?とやらに私は弱いらしいと教えてくれた。なにがだよ?と聞いた。答を聞いて驚いた。さて明日は花火大会だ。今日はこの辺で寝ておかないと。

借りず13枚.:エレガントな解法についてメモ

明日以後じっくり考えて見る為のメモ。エレガントな解法の予感。STUDIO KAMADAさんによる。2001年11月の日記参照。

13枚のコインのうちひとつだけニセモノで重さが異なる。(軽いか重いかは不明)天秤3回にてニセモノを割り出す。コインにAからMまでの名前をつけておいて、天秤の使い方は

  • 1回目……左側=E,F,G,K、右側=H,I,J,L
  • 2回目……左側=B,C,D,K、右側=E,F,G,L
  • 3回目……左側=A,D,G,H、右側=B,E,J,K

驚くべきことにこの天秤の使い方は、あらかじめ決定済みでよいらしい。私がこの日記でちょっと前に書いたやり方では天秤のかたむき具合によって以後の戦略(つまりどのコインをのっけるか)に変化を加えていた。いわば戦術的。STUDIO KAMADAさんの解では、天秤が釣り合おうと右が重くなろうと左が重くなろうと関係なく、上の一覧表に基づいて計量し結果をメモしておき、3回計量終了後メモを見ればどれがニセモノなのかわかるのだ。重ねて言うが3回の計量方法を全てに先だって決定済みでOKというところが恐ろしい。

まだ詳しく見てないが、N回計量で何枚までいけるのかまで数学的にキッチリ証明が出来そうだ。極めて強力な手法。正直参りました。

この話題に関連してKAMADAさんの日記から気に入った文章を引用しておくことに。

Knuth先生いわく、

「おそらく、すべての記数法の中で最も美しいのは平衡3進表示である」

あのクヌース先生ですよ、基本算法の!コンピュータ屋さんの一部は崇拝しているに違いないクヌースさん。あ、これも引用しておこう、明日の為に。KAMADAさん曰く、

天秤をN回だけ使って(3^N-1)/2枚のコインの中から重さの異なる1枚を見つける方法
  • (3^N-1)/2枚のコインに0〜(3^N-3)/2の番号を振る。(3^N-3)/2枚の場合は0を除外する。
  • コインの番号をN桁の平衡3進数であらわし、上からn桁目が1のコインをn回目に天秤の左側に、-1のコインを右側に乗せる。ただし、番号が1..10〜で始まっているコインは逆側に乗せる。
  • n回目に天秤が左に傾いたときは1、釣り合ったときは0、右に傾いたときは-1が重さの異なるコインの番号の上からn桁目である。番号が負数になった場合は最後に符号を反転する。

こりゃ明日が楽しみ楽しみ。今日は安らかに眠れそう。ふふふ