耐えられるのだろうか

ついこのあいだまで、散歩は私のかけがえのない楽しみだった。散歩がてらよく行くお気に入りの草原で子供達が遊んでいる。楽しそうだ。ふと音がしたので目をやると野犬がひそかに子供達を観察している。せんだって犬公方が出した生類哀れみの令とかで犬を退治してはいけないことになっている。お上の令にそむけば打ち首だ。じりじりと野犬は忍び寄って行く。生類哀れみの令では、お犬様が何を食べようとしてもそれを人が邪魔をしてはいけないのだ。声をあげて子供達に注意をうながしてはいけないのだ。黙って食べられる姿を見ていなくてはいけない。運がよければ助かる子供もいるだろう。だがたいがいの子供達はあまりにも無防備だ。

今日も野犬をみつけた。私は目をそむけて散歩の続きをする。いや、小走りになった。子供達の悲鳴が聞こえない遠くへ。耳を塞いだ。これ以上私は耐えられるのだろうか。いっそなにも知らないほうが幸せだ。散歩などしなければ良いのだ。

だが悲しみの為に泣きながらさまよい歩くだろう。

これからも毎日。


そして私はまた私の耳に届かぬ悲鳴の気配を背中で感じ取るのだ。

私は、これ以上耐えられるのだろうか。