速度制限には裏づけがなかった?(尼崎JR脱線事故)

●たなか@さくら: 実は裏付けの無い最高速度
http://tanaka.sakura.ad.jp/archives/000324.html

ううむ。旧国鉄さんが事故直後にカーブしている事故発生地点において「脱線ないし転覆する速度は133km/h」と言っていたようですが、どういう論拠だったのでしょう。直線ですら危ないというのに。といいますか直線ですら危ないということ自体、正確な支柱のない根拠に基いたものだったりするわけで。ガクガクブルブル。
さて、上記記事にてブレーキング初期の電気ブレーキが当該車両で不安定であった理由のひとつがあげられています。なるほど。各車両のパワーが異なるのですね?ちょっとズレた話題につなげますが、ちなみに先頭車両には前進するための動力はついていなかったと思います。2両目が1両目を推していた按配です。電車では交互に前進する動力をもたらすようになっているはずです。そして後ろから推されている場合、先頭車両のブレーキングによって先頭車両のみがレールからハネあげられる可能性は、より大きくなるはずです。引っ張りにしようよ>旧国鉄。出来れば昇りと降り(坂だよ)で動的に切り替えるのはどうでしょう。このへんきちっと研究されているのかなぁ。

当該事故と同じ車両、207系が走っている路線。JR京都線JR神戸線JR宝塚線JR東西線学研都市線片町線)。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/1496/hensei207.html

右にも左にも反左にも反右にも興味がない

かといって日和見を気取るわけでもノンポリ(死語)気取りでもない。戦争が嫌い。疫病が嫌い。飢饉が嫌い。制度的な貧困が嫌い。奴隷制度が嫌い。権力集中が嫌い。因習や偏見が嫌い。差別が嫌い。特定の人物なり特定の地域住民なり特定の民族なり特定の宗徒なり特定の性別なり特定の血統なり特定の企業なり…もろもろの特定がエライなどという考えにはそっぽをむく。
天賦の人権などという甘いスローガンは幻想だ。人権は不断な努力で勝ち取り続けなければならぬ。与えられたものなど役に立たない。
人類は社会的生物ではない。そんなのは蜂や蟻にまかせておけ。人類は社会創造的生物だ。常に新鮮で常に進化して行かねばならぬ。私達一人一人の責務は大きい。